三島由紀夫著、「美しい星」を読んでみた

 

三島由紀夫と言うと、潮騒とか金閣寺などの文芸書が有名ですが、『美しい星』と言う作品も残しています。

 

本書は、三島作品の中でも、やや異質な存在で、SF的な要素を含み、UFO目撃や、スピリチュアル的な高次の存在との関わりが描かれています。恥ずかしながら、私は美しい星の存在を、全く存じ上げなかったです。もちろん、IMAの会のT女史から紹介された事をきっかけに、お盆休みの時間を利用して、ジックリ読んでみました。

時代背景は、昭和30~40年代なので、ドンピシャ、私が子供の頃に育った世代です。

 

これから読み進める方もいると思いますので、出来るだけ、ネタバレ無しで書評を加えてみましょう。

 

本書で三島由紀夫は、人類に対し「2つの視点」で、来るべき未来を考察しています。

 

● 一つは、人間という醜悪な生物は、この地球上から滅んでしまうべきだ。と考える種族。

● もう一つは、愛すべき所もあるので、滅ぼすのは、もう少し先送りして救済を模索しよう。と考える種族です。

 

この両方の意見がぶつかり合う終盤の文章表現は、50年近く経過した現代でも、全く色褪せる事なく、むしろ、現代人への「予言書」のような意味合いを持って、心の奥底まで響いてきます。

 

実は、三島由紀夫を調べてみると、オカルト・UFOの分野にも興味を持ち、「日本空飛ぶ円盤研究会」を発足し、石原慎太郎・星新一・糸川英夫博士などと共に、未知なる物への探求を志していました。

 

本書は、「人間とは、如何なる存在であるのか?」と言う視点に立って、「この先、人類は、破滅の方向へ向かうのか?」と言う部分を掘り下げています。

 

人が生きていく上で、皆が望み、目指していく生き方は、「愛」「自由」「平和」「信仰心」です。

 

本書は、こうした、ヒトが抱える普遍的なテーマに対して、問題提起をしています。

 

「もしかしたら、三島はコンタクティだったのではないか?」

「深層意識の中で、宇宙人から啓示を受けていたのではないか?」

と、思ってしまう位、文章には力があふれていました。

 

人間が人間について、直接的に評価や論調を加えると、とかく平面的な視点で表現せざる得ないので、上手く読者には響かないです。これを、より高次の存在として、宇宙人を引き合いに出す事で、もう一つ上の客観的な視点から、人類を風刺している所が斬新なのだと思います。

 

実は、現実世界でも、本書の内容と同じような活動家がいました。

UFOコンタクティ、超有名なジョージ・アダムスキーです。

 

アダムスキーも、1952年に着陸した円盤から降り立った、容姿端麗な宇宙人と接見しました。その後、再度の目撃で円盤に搭乗し、太陽系の星々を見て回り、独自の「宇宙哲学」を提唱して、当時のマスコミに登場し、一躍、時の人になりました。

 

私も、小学生の頃に翻訳本を夢中になって読み漁り、心躍らせたものです。

 

アダムスキーの真偽は、諸説あるので、ここでは論じる事を控えますが、そこで主張している内容は、本書と符合する部分が、非常に多い事に驚かされます。

 

このまま行くと、人類は核戦争で滅んでしまうかもしれない。

 

この1点が、当時の社会に与えていた影響は、計り知れない恐怖感として、全ての人類に刷り込まれていたのでしょう。その後、平和ボケをしてしまった現代人よりも、はるかに切実な問題だった事が伺えます。

 

宇宙人の視点は、人類は悪しき存在であり、忌み嫌う所もあるけれど、人間が持つ凡庸さにも救うべき価値があるのではないか?

 

つまり、三島の心の中も「悲観主義」と「楽観主義」の間で、揺れ動いていた事が解ります。

仮に、三島の中で、悲観主義が勝れば、自己破壊的な方向に進み、

楽観主義が勝れば、愛・平和などの作品が生み出されていったのかと思うと、残念でなりません。

 

三島由紀夫は、昭和45年11月25日に自衛隊市ヶ谷駐屯地で決起集会を開き、バルコニーに立ち、ハチマキと軍服姿で演説を行いました。その姿は、記録映像として今日にも残っています。

自衛隊員に対し決起を促し、日本国民に向かって、新しい日本国を再建する為の行動をとりました。

この行動は、子供ながらに戦慄を覚えた事を記憶しています。そして、その思いが成就しないと悟った時に、斬鬼の念抱き、自決の道を選びました。

 

これは、正に『美しい星』に登場する、2つの勢力の宇宙人その物の行動だった訳であり、自らの死でなければ、救いの道は無かったのかもしれません。

 

本書でも描かれている、「瞼の裏に赫奕として昇る日輪」を、自害する正にその時に、三島は見たのだと思います。

 

史実によれば、三島由紀夫は、体格と健康状態で劣る為、兵役を経験できませんでした。その負い目が、「自分は、他の人と異なる存在である」という意識が芽生え、人類の行く末を、常人とは異なる存在の視点で解釈するようになった事が伺えます。

 

残念に思うのは、本書に描いた時代に「三島の真意」を、少しでも汲み取る事が出来る読者や仲間がいなかった事です。もし、周りに理解者がいたら、三島の行動を抑止できたかもしれないと思うと、残念でなりません。

 

所で、フランス映画で、似たようなタイトルの『美しき緑の星』と言う映画があります。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm32424142

 

何回も発禁になった問題作でもあります。

映画を見ていくと、美しき緑の星…と言う意味は、実は「地球」の事ではない事が解ります。

 

劇中、宇宙人は人間に対して、『切断』と言う行為に及ぶ時があります。

これをビビビッとやられてしまうと、尊大な人間は心優しい人に、気難しい人は陽気に踊り出したりしてしまいます。

三島由紀夫の「美しい星」を補完する意味で、見てみる事をお勧めします。