神社めぐりを考える…神様と対峙する時(寒川神社編)

 

先月から、クリスタル・チューニングを取り入れて、自分の身体のバランスを整えています。私の中で…精神が平静で安定してくると、

 

身体の変化に加えて…心にも変化が表れてきました。

何故か、無性に神社にお参りに行きたくなり、神様の前に出向き、お祈りを捧げたい気持ちになってしまいました。

実は、拙書「病気の9割を寄せつけない たった一つの習慣」は、サンマーク出版から上梓したのですが、同時期に、八木龍平著、「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」も出版されていました。

 

これは、現在の私にピッタリの本だ!と言う事で、早速購入して読んでみました。

 

今まで、日本人として、何となくボンヤリ理解していた事が、理論立てて明確に解説していたので、乾いたスポンジに水分が浸透していくように、みるみる頭の中に染み入ってきました。

 

●その中で、神社にお参りに行く事の本質は、「神頼み」に行く訳ではない事

●実は、神様の方も、人間に対して、その人の一生の「使命」について、伝えたい事がある事

●神社に出向いた際に、お参りする時には、一定の「所作」が必要である事

●同様に、神様にお伺いを立てる時には、一定の「口上」を述べる必要がある事

 

などを読み取りました。

 

実は、私は今年、「本厄」の年に当たります。

 

今まで、厄年などは、全く気に掛けるタイプでは無かったのですが、何故か、何としても神前に出向き、「お祓いを…受けなければ」

と言う、居ても立っても居られない気持ちになり、神奈川県の中で、「八方厄」にご利益がある、「寒川神社」に行ってきました。

 

境内は、七五三で祝う親子連れで賑わっています。

私は「大式」のお祓いを受ける為に、玉串料を支払い、手をキレイに清めて、法衣を着て、神前に出向きます。

 

私は、全く心得ていなかったのですが、神様からお祓いを受ける為には、

「何処の+誰か?」

 

と言う部分を正確に伝えないと、ご利益を得られないそうです。そんな訳で、お札に、氏名と住所を記載して、神主さんに手渡しました。

 

そして、玉串を捧げて、2礼・2拍手・1礼をする際に、心の中で唱える神様への挨拶文があります。

「祓い給え、清め給え、かみながら、守り給え、さきわえ給え」と、繰り返すのです。

 

もし、神様が何らかのコンタクトがある時は、ごく僅かな変化で接触を取って来るそうです。

●それは、突然、頬に吹いてくる心地よい風だったり

●突然の天候の変化だったり

●虫が近寄ってきたり、光が差し込んできたり、などなど、五感に響いてくるのです。

 

今回の場合は、

 

寒川神社に出向いて、お賽銭をして、お祓いを受ける時だけ、霧雨の様な雨が心地よく降り注ぎました。

そして、これは、当事者でないと解らないのですが、その日は、家に帰って就寝するまでの間、身体の周りに、かぐわしい「お香」の様な臭いが、ずっと私に付いて回りました。もちろん、境内の中には、お香をたいたり、お線香を灯したりしている場所はありませんでした。

こんな経験は、後にも先にも、今回だけです。本当に不思議な出来事でした。

 

以前のブログで、見えない高次の存在とコントタクトを図る時には、精神の周波数を整える事が重要である…と、考察しましたが、今までのクリスタル・チューニングのお陰で、私の中で、そうした存在が、入り込みやすくなっているのかもしれないと考えると、

 

次に何が訪れるのか?(実は、高家神社編で、それはやって来たのですが…)

 

とても楽しみになっています。

 

もしかすると、高位の存在とのコンタクトは、それが成された方の感性よって、

宇宙人に見えたり、神様に感じられたり、霊体として認識したりしているだけで、

本質は、そんなに変わらないのかもしれませんね。