私は、先代の大院長から歯科医院を引き継いだ2代目院長です。若いときは、目上の人から「苦労知らずのボンボンだなお前は」と、さんざん小言を言われました。実際、反論できない部分があるので、下を向いてニヤニヤしながら、甘んじてその指摘を受け流していました。
でも、心の中では、「今に見ていろ、親父を超えてやる」と、ずっと思っていました。
このブログでは、あまり触れることはなかった、親父と私の歴史について、少し触れてみましょう。父は、1922年(大正11年)生まれです。82歳で鬼籍に入りました。
1つの職場の中で、親子や夫婦、兄弟で経営をして行くと、自営業の場合は空中分解する事が多く、私も同じ歯科医師会の中で、離れ離れになっていく先生を随分見てきました。どちらが良い悪い、正しい間違っているではなくて、施術のやり方や経営方針の中で衝突する事が多いことが原因です。
その中で、私達親子は、お互いに内政干渉をしない雰囲気を作り、何とかケンカもしないで、同じ職場で働く事が出来ました。私達の業界では、結構、稀有な例のような気もしています。その中で、父には、専属の技工士さんがいました。医院内には、技工所のような設備があり、そのお抱えの技工士さんは、父親の仕事を一手に請け負い、キッチリとした歯を技工していました。
私が8歳のときから、その技工士さんは、中城歯科医院に従事してくれているので、おおよそ52年間も仕事をしてくれた計算になります。私が小さい時は、よくキャッチボールをしたり、大人になってからは旅行に行ったり、ゴルフを一緒にプレーしたりもしました。
私には、3歳年上の姉がいますが、そのまた上に兄貴がいるみたいな関係が50年以上も続いたわけです。そんな従業員さんも70歳を超えました。去年、体力的にもきつくなってきたのでリタイヤしたいと言う申し出があり、少々面喰いましたが、本人が決めた事なので、何とか承諾しました。
新年になり、ポッカリ穴が開いたようで、その従業員さんが受け持っていた仕事を、みんなでカバーしないと、医院内が上手く回転して行きません。最初の内は色々大変ですが、何とか新しい環境に適応しなければと言う思いで一杯です。
今まで、本当にご苦労様でした。また、ちょくちょく遊びに来てくれると嬉しいです。