日産の作る自家用車の中で、スポーツタイプの乗用車として、「フェアレディZ」があります。私の青春時代を共に過ごした車種なので、今回は、万感の思いを込めて振り返っておきましょう。
私と「Z」との出会いは、今から40年以上前の、19歳の時にさかのぼります。
父親は、戦争の時は戦闘機乗りだったので、スピード大好きの一面があり、地上を走る自家用車においても機敏性を重んじていました。特に、趣味がゴルフだったので、ゴルフ場までスパッとたどり着ける車を欲していたのです。
私は、山梨県の山奥にある教習所で、2週間の泊まり込み合宿免許で取りました。
そして、はじめて乗ったのが「Z」だったのです。S130型のモデルです。
当時は国内で最大に近い、2800ccの排気量で、2+2名乗車可能でした。
中古車販売のグーネット様から拝借
https://www.goo-net.com/usedcar/spread/goo/17/700100180330140528002.html
親父に頼んで、乗せてもらったのですが、教習所の車とは大きく異なり、ものすごく面喰った事を覚えています。
●フロントノーズが極端に長く、前に行くにしたがってウェッジが効いてくるので、まったく前方の車両感覚が解りません。
●車高も低く、周りの車を見上げるようです。
●おまけに、後ろのガラス面積も小さいので、後方視界もセダンタイプとは異なります。
ただ、腐っても「Z」です。交差点で鉢合わせになった時でも、相手が軽車両だった時には、何となく阿吽の呼吸で、「どうぞ、お先に」と、先方から合図がでるので、「それでは、お言葉に甘えて」という感じで、アイコンタクトでお礼を言いながら、安全に通り過ぎました。
この辺の待遇は、教習車の時とはえらい違いで、車種によって、こんなにも待遇が違うものなのか…と、少し気分が良かったです。
当時の歯科業界は、景気が良くて、「お前もオレと一緒にゴルフに行くなら、Zを買ってやろうか?」と、親父の方から提案があったので、渡りに船という感じで、二つ返事でOKを出しました。
後から聞いた話では、付き合いのある営業マンから、結構な値引きで手に入ったのだそうです。
私は、同じZでも、親父より下のランクの2000ccのZです。家族で移動する訳でもないので、2シーターにしました。色も形も画像と同じ車で、「銀黒Z」と言われるモデルです。
当時の運輸省は、スポーツカーに厳しく、出力が出るターボモデルは、なかなか認可してくれませんでした。
この銀黒Zは、モデル末期にようやく認可が下りたモデルです。タービンが回り始めると、「ヒューン」と言う機械音が車体から出るので、今まで冷遇されてきたうっ憤を晴らすような、セッティングが施されていました。
その後、モデルチェンジをして、「Z31型」に変わりました。
従来は、直列6気筒だった「Z」が、はじめてV6エンジンに切り替わったモデルです。直列6気筒は、回転バランスが良いという利点はありますが、その分、長くなる欠点があります。そのために、フロントノーズの収まりが悪く、仕方なくボンネットは、真ん中に盛り上がりを作って収納していました。
Z31型は、「VG30DET」というV6になったので、エンジンの長さが半分程度に短縮できるので、前輪車軸の後方に設置できることから、重量バランスがフロントヘビーになりにくい利点があります。2シーターの青黒Zです。
カーセンサー様から引用
http://catalog.carsensorlab.net/fimage/nissan/fairlady_z/f001/m001/
このZとは、青春時代の苦楽を共にして、1年間で3万キロ位走行していました。
フロントノーズの長さは、だいぶ短くなりました。当時は、大衆車のモデルにまで、フロントライトを電動格納する、リトラクタブルヘッドライトが流行していた時代で、Zもその時流に乗って、「半格納」状態から、垂直に立ち上がるライトを採用していました。
歯科医師免許を取って、その後、日本大学歯学部、歯科放射線学教室の大学院に籍を置いたのですが、主任教授から、福島県の無医村にしばらくの間、行ってほしい。という要請を受けて、4カ月間、出向してきました。
同じ福島県でも、太平洋側ではなくて、新潟の県境に近い方なので、冬の時期は、除雪車が出るほど雪が積もります。
磐梯山を超える前にチェーンを巻いて、慣れない雪山をゆっくり走りました。でも、雪道に慣れている軽自動車のオバちゃんは、FFのスパイクタイヤで、前輪が雪を掻いてくれるので、スイスイ山を登っていきます。
「ちょっと、早く行きなさいよ!」
という感じで、煽られました。
後ろのタイヤが駆動するFR車は、カーブの途中で、アクセルを踏めば、容易にテールがスリップします。特に、フロントが重いZは、コマのように回転してしまうので、慎重に運転して、何とか無医村がある「柳津町」までたどり着きました。
その後、大学院で博士号を取得した後に、中城歯科医院、2台目院長に就任した時は、「Z32型」がモデルチェンジしたので、自腹で買い換えました。
色も、落ち着いたチャコールグレーにしました。
このZ32型は、「VG30DETT型」と言われるように、3000ccツインターボで武装しています。当時の馬力規制の上限値である280馬力を誇っていました。
当時の自動車業界は、秘密主義が強く、現在のように、モーターショーでプロトタイプを事前に公開する事は殆ど無く、どんなモデルが出るか?は、新車発表の時まで極秘扱いでした。このZ32型も、かなりガードが堅かったことを記憶しています。
その中でも、ニューモデルマガジンXと言うスクープ雑誌は、テストコースが見える小高い丘などから隠し撮りして、すっぱ抜いてくれました。
また、発売予定の新車は、耐久性能を確かめるために、デスバレーという酷暑地帯に持ち込み、高温でもオーバーヒートしないかどうか?を、公道に実車を持ち出して試験走行をします。
ボディには、アンコを入れてデザインを隠したり、粘着シートを張り付けたりして偽装するのですが、フロントライト回り、リアのブレーキランプ周辺は、どうしても露出する必要があるので、全体像は何となくボンヤリと解るのです。
スクープ雑誌のイメージイラストを親父と見ながら、
「本当に、この形のまま市販化されるのか?」
と、胸をワクワクさせながらデビューを待ったものです。
実際に販売開始になったZは、歴代のZの中でも、デザインのバランスが良く、当時としては破格の車幅が1820mmもあり、ワイドアンドローが強調されたデザインでした。
今も町中をZ32が、目の前を走り去れば、「やっぱり、カッコいいよなぁ…」と、振り返って目で追ってしまいます。
その後、今のカミさんと家庭を持ち、子供もできたので、スポーツタイプの車からは、いったんサヨナラです。
Zの歴史は、カルロスゴーン社長になった後も、その系譜は途絶えることなく、一時期、中断する時期はあったにせよ、Z33、Z34と、ニューモデルは続きました。
どの車もカッコよく魅力的でしたが、日産には、もう一つのスポーツタイプの「GT-R」と言うスーパーカーがあったので、何となくZの方は、ほったらかしという感じで、Zファンとしては、残念な思いと共に、いつも、モデルの歴史に注目していました。
その後の日産は、今年になって7000億円の赤字を計上することとなり、国内市場に新車を投入することはなく、モデル廃止や、10年近くモデルチェンジしない車種が徐々に増え始め、国内軽視の傾向が出てきました。
日産ファンとしては、何とも残念な気持ちで一杯です。
ところがです。なんと、ナント、日産から、リバイバルプランが突然発表され、
「NEXT NISSAN AtoZ」という映像が動画サイトにアップされました。
これから発表を予定している車種を、アルファベットのAから順に、チラ見せして行くのです。「A」は、電気自動車の「アリア」というモデルです。
当然、最後は「Z」が控えています。
そのお姿を見た瞬間、往年の「S30」というモデルをリスペクトしたようなデザインで、随所にその意匠が盛り込まれています。
海外のファンは、早速、画像補正ソフトで修正をかけて、明度を上げるなどをして、隠された部分をあぶりだします。
すると、
●フロントライトの周辺は、s30モデルと同様に、凹みを設けた上で縦置きの丸目ライトがボンヤリ見て取れます。
●フロントの柱(Aピラー)を経て、天井から後方へ流れるルーフラインは、とてもなだらかでセクシーです。
●後輪駆動の力感を強調するために、後ろのタイヤ周りのデザインも、筋肉が盛り上がっているようにデザインされています。
●そして、極めつけは、リアハッチの下、ボディ側面にボンヤリと、「Zのロゴワッペン」が張り付けてあるではないですか!
昔からのZファンは、「わかっているじゃん、このデザイナー」
「これこれ、こういうのを待っていたんだよ」
Zは、フェアレディなので、貴婦人のような高貴さが必要です。余計な線やプレスラインによるゴテゴテとした「厚化粧」は必要ありません。
スッキリとした、薄化粧の和服美人が良いのです。
画像をよく見ると、ボンネットが平坦です。もし、内燃機関を実装するとなると、厚みが足りません。
このビデオの「A to Z」のAは、電気自動車であることから推察すると、最後のトリのZも電気自動車なんじゃないの?
それならば、ボンネットにエンジンがないので、平坦なデザインも可能になります。
電気自動車乗りの私としては、一瞬、よろめき立ちました。
ただ、よく見ると、ボディの後ろには、排気管のマフラーの金属パイプが、うっすら見えています。恐らく、この「Z35」を予想させるモデルは、エンジンを積んだ内燃機関なのだろう…と予想しました。
いずれにしても、徐々に全容は明らかになるはずです。
何とか健康を維持して、この貴婦人のお姿を拝見したいです。