まずは、この動画を見て頂きたい。
札幌オリンピックのテーマ曲です。私が、13歳の時でした。当時、聞き流していた時は、キレイな曲だなぁ…と言う思いでしかなかったのですが、改めて、50年ぶりにyoutubeで聞き直してみた所、その曲調もさることながら、「詩」に込められた、圧倒的なメッセージに恥ずかしながら嗚咽する位、何故だか涙がこぼれ落ちました。
2月某日、私とカミさんと、日本に帰ってきた娘の3人で、コストコに買い出しに行きました。
コストコは、コロナ感染防止のために、会員の他に、同伴者1名だけが入店できるので、3人で行った場合、一人は店に入る事が出来ません。当然、その役回りは、私が仰せつかる事になります。
カミさんの買い物時間は…長いです。
(あっ、女性の会議は長いと発言して、炎上した元総理もいましたので、あくまでも、家族の間の話です)
車の外は寒いので、社内で、ノートパソコンを開いたり、スマホで検索したりして時間をつぶします。
そんな中、youtubeを開いた所、サムネイルに、何故か、札幌オリンピックのテーマ曲が、紐づいて出てきたのです。
男女のデュオの「トワエモア」さんの、「虹と雪のバラード」です。
曲が始まりだし、ボーカルの男性から歌い始めます。次いで、女性ボーカルの方のパートになるのですが、曲が進行していくたびに、ジワジワと感情が込み上げてきて、訳もなく、頬を涙が流れました。
色々抑えていた感情が、いっきに溢れ出したのです。
コロナが蔓延した現在の社会情勢、それによって自粛生活を余儀なくされるストレス、それに対し、50年前は、人と人が寄り添い手を取り合って、一丸となって応援している熱気、オリンピック選手のひたむきな戦う姿などなど、
失われてしまったものと、現在の置かれたわが身を対比した時、自分自身が歩んできた50年の歳月を顧みて、
「こんな社会になるために、私たちは頑張って生きてきた訳じゃない!」
という思いが交錯して、無性に泣けてきたのです。
車の中で、ひとり、「アッ、オゥ、クゥ」と言いながらむせび泣く姿は、少し異様だったかもしれません。
なぜ、この「虹と雪のバラード」の曲は、大きな感動を呼ぶのでしょうか?
何回も聞き返すうち、作詞上の一つのテクニックが分かってきました。
「倒置法」です。
殆ど全ての歌詞が、前後で逆転して語られているのです。例えば
「町ができる…美しい街が」
「君の名を呼ぶ…オリンピックと」
などです。
これはよく考えれば、その意図が何となくわかってきます。
オリンピックは、4年ごとの持ち回りで開催されます。
札幌の4年前は、1968年フランス・グルノーブル、4年後は、1976年オーストリア・インスブルックで開催されました。
つまり、オリンピックの候補地が決定して、オリンピック村を作って、世界各国からの選手をお迎えする…と言う営みは、開催地ごとに受け継がれ、繰り返される、その国の「おもてなしの心」が反映されています。
美しい街ができる→次の都市でも美しい街ができる…と、続いて行く中で、どの部分切り離すかによって、歌詞の意味合いは全く変わってきます。
もし、「美しい街が出来る」と言う歌詞であれば、札幌オリンピックだけの事として完結してしまいます。
しかしながら、これが、
「街ができる→美しい街が」と書けば、札幌オリンピックだけでは無く、連綿と続く、オリンピックの歴史を総括した感じで表現できるのです。
実は、この作詞家である「河邨文一郎」氏は、ウィキで調べた所、なんと、整形外科医で詩人。元札幌医科大学教授の経歴をお持ちでした。
オリンピックの2年前にNHKから、テーマソングを作るにあたり、以下の要望が寄せられたそうです。
1.イベントが終わっても長く歌い継がれるもの。
2.オリンピックを待ち焦がれる札幌の人たちの心情を表していること。
3.行進曲の様な重々しい式典風のものではなく、屋根裏の落第坊主がギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること。
ナント壮大・遠大な、そして無茶ぶりな要請でしょう。
改めて聞き直すと、全ての要望を見事に叶えている事が、50年たって、初めて分かりました。その作者の魂を込めた想いが、ズシッと私の心に響いたのです。
予定では、2030年に、もう一度、札幌で冬季オリンピックが開催されるそうです。
何とか健康を保って、今一度、この感動に浸りたいと考えています。