ゴールデンウイークの某日、安近短の探訪という事で、カミさんと「市が尾横穴古墳群」を見に行きました。
https://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/shokai/bunkazai/a/bunkazai006.html
おおよそ、西暦500年~700年代に、日本全国の各地で、この埋葬法が用いられました。
特に、古墳時代の初期から中期までは、「竪穴式」(たてあなしき)が用いられ、その後、「横穴式」(よこあなしき)に移行していきました。
この背景には、「竪穴式」は、一度埋葬してしまえば、再び開ける事は困難で、一人の為に収める埋葬法です。これに対し、「横穴式」の石室は、棺を埋めても、入口を塞いだ石や土を除去すれば、何度でも出入りが可能になる所が特徴です。
この為に、その後、長きにわたって、この埋葬法が用いられ、時には、一つの横穴に、親子とその孫に至るまで、同じ横穴に収まる事もあったようです。
西暦、500年~700年でも、人々には生活があり、家庭、子育て、衣食住が存在していたのでしょう。この古墳群を見ている時に、その時の暮らしぶりがイメージされました。耳の遠くの方で、人々の喧騒が聞こえてきたような、チョットしたタイムスリップ間隔を体験した気分になりました。
所で、500年代の東洋医学は、どの様な物だったのでしょう。少し、調べて見ました。
この時代は、野蛮人が原始的な生活をしていた…と思いがちですが、それとはまったく異なり、現在の私達と、「ヒト」と言う視点で見た場合は、それほど大きな違いはなかった事が推察されます。
ただ、ガス、電気、水道が整備されていなく、スマホが無いだけで、日常生活を送っていた事が伺えます。それはそれで、幸せな暮らしぶりだったのではないでしょうか?
東洋医学における古典も残っています。代表的な物としては、
●『神農本草経』
一年の日数と同じ365種が掲載されています。陶弘景が、5000年頃に上薬と中薬を合わせて、240種、下薬に125種の、合わせて365種に整理して解説しています。その内容は、総論として序章で、上・中・下薬の定義を述べています。次に、薬物の配合・原則、五味・四気・副作用なの、その薬性が記述されています。各論に入ると、薬ごとに正名、生産地、採取時期と、適応症が記述されています。
現代でも通じるような概念として、無毒で長期服用可能な「長生薬」を上薬に位置付け、有毒で短期間だけ服用可能な「治療薬」を下薬と定義し、その両方の特性を持ったものを中薬と3つの分類に分けるのは、特筆すべき部分だと思います。
こうした記載になった背景には、ヒトと薬の間に置かれた関係性にあるのでしょう。いつの世も、健康で長生きが、人類の目標である事に変わりはありません。病気の改善、不老長寿が薬を使う目的です。その中で、『神農本草経』に収録された「薬」の概念は、まだまだ食物がベースとなっており、生成、成分抽出などの方法が確立されていない時代でした。
本書の凄い所は、食材を五味・四気・毒の3つの概念に当てはめた事で、そこから受ける生体の特性を、薬物と病態と言う視点から定義している所が新しいと考えます。