吃音症を東洋医学で考える

 

恥ずかしながら、私は幼少期、「吃音症」の既往がありました。吃音症とは、「どもり」の事です。

 

「あ、あっ、あぁ、あのう」

「そ、そっ、それはですねぇ」

 

と言うような感じで、言葉がスムーズに出てきません。現在でも、患者さんの前で、緊張したりすると、

ドモってしまう事が多々あります。

 

 

【吃音庄の履歴】

それは、些細なことがキッカケでした。

 

私は、物心を付いた頃には、既に「左利き」でした。

文字を書くのも、お箸を扱うのも、野球のバッターボックスも、左打席です。

 

小学校に入ってからは、「ぎっちょ、ぎっちょ」と、クラスメートからも、学校の先生からも指摘を受けました。

(現代では、もしかしたら、差別用語かもしれません)

 

小学校の木製の勉強机の場合、横2個並びの右側に座ろうものなら、私の左肘と、左側に座る同級生の右ひじが、

ガンガンぶつかり合うので、嫌がれる存在でした。

 

また、親からも、執拗に、右利きになる事を強要され、子供心に、プレッシャーを感じていました。

何故かというと、歯科用の治療機械の殆どは、現在に至っても、「右利き仕様」が中心で、将来の跡取りとして、

左利きのままでは苦労するだろう…との配慮からでした。

 

その反面、図工は、大の得意で、左手に筆を持って書いた、花瓶に咲く花を描いた水彩画は、小学校で優秀賞を受賞し、対外的な絵画コンテストにも出展して貰ったほどでした。

 

また、夏休みの宿題の木材工作も、木の枠組みと、紐を巧みに編み上げ、金門橋のような橋を作り上げ、

こちらも、学校内での優秀賞を受賞した経歴があり、図工全般は、好きな科目でした。

 

そんな経緯を経て、自分の中では、「左利きでも全然問題ないじゃん」と言う思いを抱き、右手で字を書き、右手で箸を持って、

食事をする事は、先送りしてしまいました。

 

ただ、親からは、来る日も来る日も、右利きを強要される日々が続きました。

 

当時は、一所懸命、練習をしたのですが、字は上手く書けません。小学校3年生の時に、1年生が使う、習字ドリルを買ってきて、

薄字で印刷された大きな「あいうえお」の文字を、エンピツでなぞる練習をしたのですが、途中で投げ出してしまいました。

 

その頃からです。

 

言葉が、ひっかかって、吃音庄の症状が出てきました。

親は本当に心配してくれて、右利きの強要をやめてみた所、プレッシャーから解放されたのか?

ドモリの症状も徐々に軽くなっていきました。

 

その後、不思議な事に大人になるにつれて、自然と左利きは治っていきました。そして、現在は…と言うと、

●左利きのまま…お箸、テニス、野球のバッティング、

●右利きに変化…字を書く、歯科診療、ゴルフ

●両方できる…ボールを投げる

 

もう、自分でも、何が何だか分からない状態です。

直感的に、利き手の選択は、こっちの方がやり易い…と思った方で、自由に選んでいるようです。

 

所で、吃音症は、漢方薬でも治療が可能です。以下に、代表方剤を上げておきましょう。

 

① 半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)

ストレスや過労が続くと。のどに何かデキモノが出来たような感じがして、気分がすぐれません。

癌でもできたのではないか?と、不安が付きまといます。この引っ掛かった違和感は、咳払いをしても、つばを飲み込んでも、

食事をしても解消されません。内視鏡で見てみても、何も発見されず、モヤモヤ感がずっと続きます。

古来より漢方では、ストレスや過労による、気の乱れは、真っ先に喉に出てくると言われており、

この症状を、「梅核気」(ばいかくき)と考えています。

近年になって、この症状は西洋医学でも検証され、「咽頭喉異常感症」という病名が付く事で、世の中にだいぶ認知されてきました。

このストレスによる、のどの違和感に昔からよく使われてきた漢方薬が「半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)」です。

 

② 桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)

些細な事が気になる、落ち着きが無い、過緊張になりやすい、緊張すると汗が出る、ストレスを受けやすい、

神経過敏でそわそわしてしまう…時は、心も体も疲れてしまいます。もともと子供は陽気に満ちて活発に活動しますが、

気の流れが滞ると、過ぎに体力が枯渇します。この事から、大人に比べ、好不調の波が大きく、

心が弱くなりやすいけいこうにあります。

この為に、固まっている気を解きほぐし、つかえている気の流れを、スムーズに流してあげる必要があります。

そんな症状の時は、「桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)」を選ぶと良いでしょう。

幸い、私の子供たちは、右利きで育ったので、私も口うるさく躾ける事もなく、大人になっていきました。